ラブアップル前史

 ◆ 年代史は少しお休みして、ラブアップルが始まる前の事を書いてみます。

・ 初期のラブアップルの母体は大阪府立今宮高等学校の軽音楽部フォークソング
  (軽音フォークという略称でした)であった事は述べましたが、
  ここではこの
軽音フォークのお話を。

   ・ 私が入部した1969年当事、軽音学部は一つのクラブの中にエレキ・クラシック・フォークの
   三つのクラブが並存するという不思議な構成でした。

    卒業アルバムをみても、それぞれ別々に違うページに掲載されています。
   顧問
の先生もエレキは安永先生、クラシックは金平先生、フォークは安永・金平両先生
   あったようで、微妙な感じです。

   ・ 軽音学部は最初エレキ主体のクラブであったけれど、その内クラシックギター好きの部員が
   現われ2つに別れ、その次にそれまで個人的に活動していた我があいらんど氏が3年生の時、
   いっちょかみさせてもらってフォークソングを立ち上げ3つになったというのが、
   私が聞いている経緯です。

   ・ このあいらんど氏によるいっちょかみの時点で、「クラブに混ぜてもらえるのなら学校からの
   部費はいらない」という約束があったため、当時クラブ所有の楽器はなにも無く、
   先輩諸氏の個人所有のギターだけでした。

     ただ、I氏の改造8弦ギターを始め、先輩のご好意で自由に弾かせてもらえる物が
   何台かありました。

・ 私たちが新入部員として入部するまで、フォークの部員は3年生2名(田中真緒
  《のちの岩上婦人》・高田むつ美)2年生2名(倉内直樹・田辺俊男)の小所帯でした。

この4人以外に、今高と違う制服を着てほとんど毎日やってくる謎の先輩がいたのですが、
この人がなにを隠そうあいらんど氏の若き日であったのであります。

私と幼稚園・小学校・中学・高校を通じての同級生で、仲の良かった小島朱美子という人が
いたのですが、後にあいらんど氏が彼女の兄君であることが判明し、必然的に氏が
幼稚園からの先輩であることも確認されてしまいました。

・ 他の先輩たちも良く遊びに来てくれていました。クラブができた時すでにOBであったガミさん
  (小島さんと二人で「三羽のからす」なんかやってましたっけ)・

   酒井順一さん・中垣光市さんたちが。

  

・ 今宮高校グッドモーニングフォークの面々
   後列左から 不明  林  中垣 倉内 田辺  
   前列左から 岩上 小島 田中 高田 酒井
   
  あいらんど色の強いクラブでありましたので、やる曲はやはりPPMが中心でしたが、
  赤い鳥や日本のフォークもやっていました。レイニーの一枚目のLPに入っている
  オリジナルの「あなたは知らない」もこの時すでに、練習曲に入っていました。

私は一年生の時は、男三人で「ザ・バンブー」(当事シティージュビリーで「バンブーズ」という
かなり上手なPPMのコピーバンドがありましたが無関係)なる
グループを組んで歌っており
「悲惨な戦争」などPPMを演奏する時は私がマリーさんを担当するという恐ろしいことを
やっていました。

・ 二年生になって部員が増えても、学校からクラブへの部費援助がないままでした。
  ギターを持っていない部員もおり、練習にも支障がでそうだったので部費獲得活動
  始めました。調べてみると、生徒会の見解としては、軽音学部には部費が支給されており、
  その配分については軽音楽部の中で話し合って欲しいという事でした。

始祖あいらんど氏の「部費はいらない」という事の申し送りが軽音楽部内では生きていて、
なかなか部内の(特にクラシックの)了解がえられませんでしたが、「昔
の先輩の約束なんか
知らん」という単純で強引な理屈に根負けしたのか、「部費あげない」派のリーダーから
「生徒会からクラブとして認めるという一筆をもらえたら、部費を分けてあげても良い」という
言葉をもらいました。文化祭などでの実績
が生徒会に否定されるはずもなく、こうして晴れて
部費のもらえるクラブになりましたとさ。

・ 最初は1万5千円ぐらいもらったと思います。このお金を握り締め、天王寺公園横の
  ラブホテル街の辺にあった「トミヤ楽器」でヤマハのF
G‐12かなんかを買ったと思います。
  あのギター今はどうなっているのでしょうか。

◆ 1970年 今宮高校第23回学芸祭 プログラムから 新体育館にて

1.「天使のハンマー」 全員

2.「マイハート」(ザ・バンブー) 西村裕之()長谷部元勇()良本成英(1)

3.「女ひとり」(ラスフローレス)中口幸子()三浦育子()三浦富美子()島田和親()野田拓(2)

4.「赤い花、白い花」(遠藤晶子とその他大勢)遠藤晶子()友井恵子()中山保子()野田拓(2)

5.「今日も夢見る」(ラスチカス)新道享子()谷口恵美子()三宅喜久子()
                    沢井良公
()西岡雄二()
6.「ジミー・ウォーレン」(エルフ)十川淑子()辻和子()

7.「ベリーラストデイ」 「青い空」 「モーニングトレイン」(四暗刻)
                    斎藤典子
()沢井良公()瀬川恵子()西岡雄ニ(2)
8.「竹田の子守唄」 「ウェル,ウェル,ウェル」 「ハリーサンダウン」(ジ・イタニティーズ)
                    島田和親
()友井恵子()中山保子()野田拓()
9.「今日の日はさようなら」 全員
                            ※ 曲名は当時の表記に準じました。( )内は学年

  ・ 前にも書きましたが、四暗刻とジ・イタニティーズは四声でPPMを歌っています。
    ジ・イタニティーズの女声は基本的にユニゾンですが、四暗刻は女声が2パート
    になっている曲もあり、当時のラジオの人気番組ヤングリクエスト(ABCラジオ)
    の「ミキサー完備スタジオ貸します」にでた時の「All My Trials」はすばらしく、
    こういうPPMへのアプローチがあるのかと感心した覚えがあります。

◆ この前後で第一次のレイニーブルーの活動が始まっています。岩上泰雄・小島常男の
   二人で「ブルーズ」というバンド名で歌っていましたが、これが母体になったと思われます。
  メンバーは二人の他にボーカルのアパッチ(本名は知りません。今の歌姫とはちがい派手め
  イケイケ風の印象がありました。)と下ネタの得意なMC兼エレキベーシストの人
  (名前知りません)の4人でした。

毎週土曜日に日本橋(もちろん大阪です。念のため。)にあったアンファンという喫茶店で
ライブをしていました。オリジナル曲の楽譜も配っていました。

私は「アンファンのテーマソング」(?)が当時一番好きだったのですが、「500マイル」
アレンジが面白くて印象に残っています。

この後、桂三枝師匠が全国区の人気者になるきっかけともなった毎日放送(東京12チャンネル)の
「ヤングおーおー」の「みんなでうたう歌」に「あなたに」という曲で出演することになります。
ちなみに、この「みんなでうたう歌」には「戦争を知らない子供たち」もラインアップされていました。

 付録

 大   地

              岩上 泰雄 作詩・曲

     F G7 C  Am F   G7   A

1. 辛く長い旅の果てに 待っているのはひとつ

F G7   C Am F  G7  A

疲れはてたこの体を 包みこむこの土

C  G     Am  F

大地よ しばしの時が欲しい

C  D     F   G7

お前のその手に抱かれる前に

C  G  Am F C  D  F  GF  G F A

愛する人をこの胸に 抱いて涙を流したい  あーあー

  

2. 辛く長い旅の後に 残ったものはひとつ

    汚れきったこの体を 待っていたこの愛
 
    大地よ しばしの時が欲しい

お前のその手に抱かれる前に

愛する人を見るまでは 冷たいお前に倒れるものか あーあー

今回は高校時代のクラブの話です
今宮高校のOBの方もそうでない方も
よろしければお付き合いください

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