ラブアップル前史のつづき

       前回はめでたく名実共にクラブとして認められたところまで書きました。

 今回もその続きを。
 翌1971年には、北田栄・黒井恭子(沢井良公の嫁)・高橋雅樹など
 10人ほどの新入部員が入り、結構大所帯になりました。

 前年の文化祭に出ていなかった先代歌姫中山素子もひょっとしたら、
 この年に 途
中入部したのでしょうか。

    3年生になった私たちは一応引退の形になっていて、メインの講堂では
    歌いませんでしたが、藤棚をセカンドステージにして歌っていました。
    後に「アリス」がカバーして全国区になった、ウッディ・ウーの「今はもう誰も」を
    マイクなしでDのキーでがなりまくっていました。

    不思議なご縁になるのですが、レイニーが今練習場にしていて、
    CDの録音も行った
Power Sound Square」の社長さんがウッディ・ウーの
    メンバーで「今はもう誰も」の作者の佐竹さんで、
PAMFでお世話になっている
    
The Kingston Markの星野さんもメンバーでした。

    昨年、星野さんのKMVの関西遠征ライブが行われた「City West」のオーナーで、
    もう一人のメンバーであった岡山勇吉さんが先日亡くなられたと聞きましたが、
    残念な事です。

    3年生になった頃から「勉強しっかり組」と「お気楽組」に分かれたのでしょうか、
    2年までは違うグループにいた沢井良公と私が一緒に行動することが多くなって
    きました。藤棚で二人で歌っているうしろ姿が卒業アルバムにのっています。


    結果お気楽組みは、当然のように大学への入学を一年延期することになりました。 
    浪人してもお気楽なままで、違う予備校に通っていたのもかかわらず、麻雀したり
    歌をうたったりよく遊んでいました。

    この頃、沢井の家で西岡雄二たちと歌をうたっていると、横で寝ていた沢井の
    小学生の弟がムックリおき上ると手をたたき始めました。一瞬ビックリしましたが、
    何のことはない彼は寝とぼけていただけで、またすぐに眠りにもどり、我々は大笑い
    でした。この時の小学生が沢井俊男です。きっとこの時にPPMが刷り込まれたの
    でしょう。

    浪人時代も、コンサートをしたい、歌をもっとうたいたいという思いは、
    皆ずっともっていた様に思います。ラブアップルの名付け親の友井恵子に呼ばれ、
    遊びにいったプール学園の大学祭のライブ喫茶でも友井・島田和親と飛び入りで
    PPMをうたった事を覚えています。高校のクラブにも足繁く通っていたと思います。

 大学に入っても私と沢井はつるんで遊んでおりました。沢井は甲南、私は市大で
 通う場所がまったく違うのに。結局二人とも授業料を無駄使いしていた訳ですが。
 その内、どちらから言うとも無く、コンサートをしようということになりました。 
 
 私が高校時代グループを組んでいた島田は同志社大学のある京都に
 通いだしましたし 沢井と組んでいた西岡は法政に進学し東京へ行ってしまったので、
 取りあえず二人で 準備にかかりました。

    コンサートをしようと決めたものの、会場とPAとチケットは必要かなと漠然と考えている
    ような、これまたお気楽な状態でした。


    世の中、お気楽はお気楽なりに何とかなるもので、会場は森之宮青少年会館
    小ホールを    確保でき、
PAも難波の大十で伝手もないに格安でレンタルして
    もらえる事に
なりました。
    残るチケットは沢井と飛び込みで入った印刷屋さんでこれも格安で
お願いしました。
    チケットのデザインは沢井が担当しました。

    出演者は、我々の代(高校24期)の軽音フォークのOBをコアに、軽音エレキの
    瀬見秀夫やひいてはバスケットボール部の小林文泰までかき集めましたが、
    バンドの不足分は掛け持ちで穴埋めしました。

    スタッフも今高の人脈をフルに使い、PAは放送部OBの尾形昌朗たちに、
    照明は卒業後人形劇団に参加しておられたフォークのOBの田辺先輩たちに、
    写真は写真部OBの岩田弘之たちに頼みました。

    いきあたりばったりで開催したものの、周囲の協力のお陰で、なんとか
    形になりました。コンサートが終わった時点で私と沢井は、お酒も飲んでないのに
    「酔っ払った状態」になり、うれしい、うれしい」と難波の町でハシャギ続けました。

    この時の快感がくせになり、「ラブアップル」を続けて行く事になったのだと思います。
    沢井と「子供がでるまでこのコンサートを続けよう」と冗談交じりで話して
    いましたが、昨年のラブアップルに主催者特権で三男のバンドをオープニング
    アクトで使わせてもらいました。二十数年ぶりに自分自身との約束を果たせた
    気がしています。

 

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